劇場版ラブライブ!に対する疑問 映画がドームじゃない不誠実さについて
以下ネタバレ収容
ラブライブ!The School Idol Movie見ました。
おおむねラブライブらしい映画だなって印象で、だからTVシリーズ2期とかでちょっとどうかなって思う部分はやっぱりどうかなって感じだったりもするんですけど、それはもう今更な話ですし、この映画において重要な問題とも思わないのでそこはいいです。
一応触れておくとシチュエーション先行と結局スクールアイドルってどういうものなの? って点ですね。
特に後者に関してはNYで現地の人と「スクールアイドル……?」的なやり取りをしていて、そこで僕はステージなりで自分たちがどんなキャラでどんな立ち位置なのかを向こうの人に解説してくれるんじゃないかと期待したんです。
そうすればTVシリーズを見てないこの映画が初見の人でも、作品に入りやすくなりますからね。
しかし結局そういうのはなく、あのアメリカ人とのやり取りはもったいなかったなあと思うし、これを一緒に見に行った映画初見の友人にはなんか悪いことしたなあって作品になってしまいました。
それはまあ単にそういう作品だったって事なのでいいんですけど。
良かった部分ももちろんあって、帰国してから3年生の歌までの流れは、話と画面のテンションが噛み合っていてとても面白かったですね。
逆に他のミュージカル的な部分に関しては、入り方が良くなかった。
ミュージカルやるにしてもそこに至る段取りが必要であって、3年組のはにこの大声がその合図になっていて綺麗だったんですけど、他は甘かったなと。
とはいえそれもまあ些事でして、僕が感じたこの映画の問題点ってのは他にあります。
問題というか疑問で、この作品に詳しい人なら応えてくれるんじゃないかなって期待してこの記事書いてるんです。
なんでこの映画のクライマックスって、ドームじゃなくてスクールアイドルたちで、自分たちで1から作ったステージだったんですかね?
この映画ってとても自己言及的なんですよね。
作中でμ'sは周りからの期待を受け、一度は決めたグループの解散について悩むことになります。
これってつまりラブライブというコンテンツについての言及でもあるわけです。
TVシリーズの2期のラストで、これで解散と決めたけれど、ラブライブというコンテンツが大いに盛り上がっている。
だから、上の人間も、ファンも、もっとμ'sの活躍を期待する。
そして、それに対する答えが、作中で他のスクールアイドルたちに向けて発表した通り、やはりこれで解散にする……ということでした。
さて、これのどこに問題があるかというと、では作中においてはこの映画に相当するものは一体なんなのだろうか、ということです。
わかりやすいよう順を追って説明すると、そもそもこの映画は2期ラストの突然届いたメールから続いたものでした。
これは映画の冒頭にそのまま続いている形ではありませんが、μ'sにメールが届くという点は一貫しています。
そしてこのメールの内容がラブライブのドーム大会があるというもので、それにμ'sとして協力してほしいということが理事長を通して語られます。
これはつまりこのメールこそが、ラブライブがTVで終わらずに映画に続いた原因そのものであるわけです。
上からの要請で続けるために設けられた場。それがこの映画であり、したがって、映画に相当するのは作中ではドーム大会であるはずなのです。
TVで終わらずに映画に続いたのは、自分たちの力ではなく、上からの要請であるという描き方をしているわけですね。
しかし、メールによってもたらされた問題に対する回答――つまりμ'sを解散するか否か――は、全国のスクールアイドルを集めた、自分たちだけの力で作ったステージの前で発表されるのです。
僕は当然、このメールに対する答えの出し方を注視していて、実際そのように作劇も進んでいったのですが、だからこそこのことに引っかかってしまったのですね。
上からの要請(続けて欲しい)で得た場(映画)で、その要請に対する答えを、自分たちの力だけで作ったステージという場で答えたんだよ、という態度がひどく不誠実に思えるのです。
当初は上からの要請含めて、解散してほしくないという意見に対して答えを出してこれで終わらせるのだ、という態度に誠実さ、真摯さを感じていたんですが、しかしその答える場が誰の力を借りたものでもないんだ、というのは欺瞞である、と。
だからなんで答える場がドームではなくてあそこだったのがわからなくて、疑問なわけです。
これは映画の他のライブなどで何かモチーフとなるものがあったのか、あるいは全国のスクールアイドルというものに対する理解が足りない(これは実際そうだと思います)から論がずれているのか、それともそもそも前提からして見当違いのことを言っているのか。
この辺のことをラブライブに詳しい人なら応えてくれるんじゃないかなあとか勝手に期待しているので、思い当たる方にはお願いしたい次第なわけです。
単に批判するだけならカメラ近すぎとか声の芝居の距離感が無いとかライブ中に海未ちゃんが消滅するとか言えるんですけど、これに関しては本当にわからなかったので。
そんな感じの劇場版ラブライブの感想でした。
おおむねラブライブらしい映画だなって印象で、だからTVシリーズ2期とかでちょっとどうかなって思う部分はやっぱりどうかなって感じだったりもするんですけど、それはもう今更な話ですし、この映画において重要な問題とも思わないのでそこはいいです。
一応触れておくとシチュエーション先行と結局スクールアイドルってどういうものなの? って点ですね。
特に後者に関してはNYで現地の人と「スクールアイドル……?」的なやり取りをしていて、そこで僕はステージなりで自分たちがどんなキャラでどんな立ち位置なのかを向こうの人に解説してくれるんじゃないかと期待したんです。
そうすればTVシリーズを見てないこの映画が初見の人でも、作品に入りやすくなりますからね。
しかし結局そういうのはなく、あのアメリカ人とのやり取りはもったいなかったなあと思うし、これを一緒に見に行った映画初見の友人にはなんか悪いことしたなあって作品になってしまいました。
それはまあ単にそういう作品だったって事なのでいいんですけど。
良かった部分ももちろんあって、帰国してから3年生の歌までの流れは、話と画面のテンションが噛み合っていてとても面白かったですね。
逆に他のミュージカル的な部分に関しては、入り方が良くなかった。
ミュージカルやるにしてもそこに至る段取りが必要であって、3年組のはにこの大声がその合図になっていて綺麗だったんですけど、他は甘かったなと。
とはいえそれもまあ些事でして、僕が感じたこの映画の問題点ってのは他にあります。
問題というか疑問で、この作品に詳しい人なら応えてくれるんじゃないかなって期待してこの記事書いてるんです。
なんでこの映画のクライマックスって、ドームじゃなくてスクールアイドルたちで、自分たちで1から作ったステージだったんですかね?
この映画ってとても自己言及的なんですよね。
作中でμ'sは周りからの期待を受け、一度は決めたグループの解散について悩むことになります。
これってつまりラブライブというコンテンツについての言及でもあるわけです。
TVシリーズの2期のラストで、これで解散と決めたけれど、ラブライブというコンテンツが大いに盛り上がっている。
だから、上の人間も、ファンも、もっとμ'sの活躍を期待する。
そして、それに対する答えが、作中で他のスクールアイドルたちに向けて発表した通り、やはりこれで解散にする……ということでした。
さて、これのどこに問題があるかというと、では作中においてはこの映画に相当するものは一体なんなのだろうか、ということです。
わかりやすいよう順を追って説明すると、そもそもこの映画は2期ラストの突然届いたメールから続いたものでした。
これは映画の冒頭にそのまま続いている形ではありませんが、μ'sにメールが届くという点は一貫しています。
そしてこのメールの内容がラブライブのドーム大会があるというもので、それにμ'sとして協力してほしいということが理事長を通して語られます。
これはつまりこのメールこそが、ラブライブがTVで終わらずに映画に続いた原因そのものであるわけです。
上からの要請で続けるために設けられた場。それがこの映画であり、したがって、映画に相当するのは作中ではドーム大会であるはずなのです。
TVで終わらずに映画に続いたのは、自分たちの力ではなく、上からの要請であるという描き方をしているわけですね。
しかし、メールによってもたらされた問題に対する回答――つまりμ'sを解散するか否か――は、全国のスクールアイドルを集めた、自分たちだけの力で作ったステージの前で発表されるのです。
僕は当然、このメールに対する答えの出し方を注視していて、実際そのように作劇も進んでいったのですが、だからこそこのことに引っかかってしまったのですね。
上からの要請(続けて欲しい)で得た場(映画)で、その要請に対する答えを、自分たちの力だけで作ったステージという場で答えたんだよ、という態度がひどく不誠実に思えるのです。
当初は上からの要請含めて、解散してほしくないという意見に対して答えを出してこれで終わらせるのだ、という態度に誠実さ、真摯さを感じていたんですが、しかしその答える場が誰の力を借りたものでもないんだ、というのは欺瞞である、と。
だからなんで答える場がドームではなくてあそこだったのがわからなくて、疑問なわけです。
これは映画の他のライブなどで何かモチーフとなるものがあったのか、あるいは全国のスクールアイドルというものに対する理解が足りない(これは実際そうだと思います)から論がずれているのか、それともそもそも前提からして見当違いのことを言っているのか。
この辺のことをラブライブに詳しい人なら応えてくれるんじゃないかなあとか勝手に期待しているので、思い当たる方にはお願いしたい次第なわけです。
単に批判するだけならカメラ近すぎとか声の芝居の距離感が無いとかライブ中に海未ちゃんが消滅するとか言えるんですけど、これに関しては本当にわからなかったので。
そんな感じの劇場版ラブライブの感想でした。
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