境界線上のホライゾン 5話 視線上の相対者
よっしゃ続けていくぞ!
ドーン!
5話の感想!
■視線上の相対者
今回最も目についた演出といえば、瞳や刃に人物が写り込んでいたこと。
ではそれに一体どんな意味があったのか。
それは、相対すること。
向かい合わなくては瞳に映ることはできず、それは蜻蛉切りでも同じである。
鹿角の瞳、蜻蛉切り、エル・アゾゥルの目、鹿角の宝石。
それらに映るのは、これまで相対した相手である。(さんと蜻蛉切りは、まあおいおい)
この回において誰と誰が相対することができ、そして誰と誰が相対することが出来なかったのか。
誰の瞳に映ることが叶わなかったのか。
トーリとホライゾンである。
今回叶わなかった相対を果たすこと。
同じ高さの地面に立つこと。
これこそが、これからの話の軸となることが示されているのである。
■これまでのまとめ
ということで一つ。
これまでブログで触れたことを。
まず、相対する、ということが1話と2話で。
これは上で述べた通りである。
3話では手をさしのべることにスポットが当てられ、今回トーリの伸ばした手はホライゾンに届かなかった。
それは正純がセリフにすることでより強調されていた。
3話でのもう一つのポイントである怪異・公主隠しに関しては作品全体を通しての謎となっているので、原作も終わってみなければわからないと予測できるのでとりあえず置いておく。
4話では自分で考えて決めるということが提示され、それは今回、松平・元信のセリフに集約されている。
考えることは楽しい。
考えることを放棄したものは、恐怖から目を背けて死ぬ人間だと。
だから、考えろ。
これらは皆、これからの展開の軸でもあり、これらに注目していけば本筋から離れることがないだろうということは、前回のエントリで触れた通りである。
どうすればいいのか、どうしたいのか、どうされたいのか考え、何と相対し、何に手を伸ばすのか。
どういった結末に至るのか、見届けたいし、見届けて欲しいと思うよ。
「一年前とどれくらい変わったのかなあ……」(本多・正純)
「この十年、一体、何が変わったっていうんだろうねえ」(酒井・忠次)
きっと、何もかもが変わり、変えていこうとするのだろうから。
ドーン!
5話の感想!
■視線上の相対者
今回最も目についた演出といえば、瞳や刃に人物が写り込んでいたこと。
ではそれに一体どんな意味があったのか。
それは、相対すること。
向かい合わなくては瞳に映ることはできず、それは蜻蛉切りでも同じである。
鹿角の瞳、蜻蛉切り、エル・アゾゥルの目、鹿角の宝石。
それらに映るのは、これまで相対した相手である。(さんと蜻蛉切りは、まあおいおい)
この回において誰と誰が相対することができ、そして誰と誰が相対することが出来なかったのか。
誰の瞳に映ることが叶わなかったのか。
トーリとホライゾンである。
今回叶わなかった相対を果たすこと。
同じ高さの地面に立つこと。
これこそが、これからの話の軸となることが示されているのである。
■これまでのまとめ
ということで一つ。
これまでブログで触れたことを。
まず、相対する、ということが1話と2話で。
これは上で述べた通りである。
3話では手をさしのべることにスポットが当てられ、今回トーリの伸ばした手はホライゾンに届かなかった。
それは正純がセリフにすることでより強調されていた。
3話でのもう一つのポイントである怪異・公主隠しに関しては作品全体を通しての謎となっているので、原作も終わってみなければわからないと予測できるのでとりあえず置いておく。
4話では自分で考えて決めるということが提示され、それは今回、松平・元信のセリフに集約されている。
考えることは楽しい。
考えることを放棄したものは、恐怖から目を背けて死ぬ人間だと。
だから、考えろ。
これらは皆、これからの展開の軸でもあり、これらに注目していけば本筋から離れることがないだろうということは、前回のエントリで触れた通りである。
どうすればいいのか、どうしたいのか、どうされたいのか考え、何と相対し、何に手を伸ばすのか。
どういった結末に至るのか、見届けたいし、見届けて欲しいと思うよ。
「一年前とどれくらい変わったのかなあ……」(本多・正純)
「この十年、一体、何が変わったっていうんだろうねえ」(酒井・忠次)
きっと、何もかもが変わり、変えていこうとするのだろうから。
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テーマ : 境界線上のホライゾン
ジャンル : アニメ・コミック