悪魔のリドル感想 人はサイコロと同じで、自らを人生の中へと投げ込む。「故に、世界は□□に満ちている」
「晴はみんなと勉強して、友達になって、仲良くなって、人生エンジョイするのです。そして必ず、卒業して見せます」
「それがお前の望みなのか」
はい、『悪魔のリドル」の最終話が完璧だったので、久方ぶりにブログ更新しようと思い立ったが吉日、言葉が流れ出るままに書き綴っていきたいと思いますはまじです。完璧ですよ喝采喝采。
で、何から語ったものかと考えますと、なにより僕が『悪魔のリドル』全体を通して評価している、面白いと思っている部分をまず挙げて、それがどうこの最終話で結実したか、という軌跡を辿るのが、僕の感動を理解していただきやすいのではないかと浅慮した次第。
◆黒組という箱
ではでは、『悪魔のリドル』の何が素晴らしいかって、この作品、女子高生暗殺者によるクラス内早い者勝ち暗殺ゲームをやってるんですけど、彼女たちは互いに牽制などをほとんどせずに、それぞれ思い思いに自分の黒組ライフを満喫してるんです。
そして、自分の担当回が来ると、思い出したように暗殺しようとし始める。
ここが非常に素晴らしいんです。
授業中には寝たり、本を読んだり、真面目に勉強したり。
制服だってそれぞれが別のものを着ている。
画面をパッと見ただけで、彼女たちがバラバラな人間だということが伝わってくるのです。
嗜好も、性格も、生い立ちも、別々の人間が同じ一つの目的のために集まっている。
あるいは一つの箱に詰め込まれている。
それが黒組です。
ここが非常に面白い。
黒組がなければ一生接点がなかったであろう面々が、晴を殺すという共通の目的の下、共同生活を送る。
そこには、「目的が達成されればこの生活は終わる」という一種の儚さが常に付き纏っているのです。
今放送しているアニメで言えば、『ラブライブ!』なども、μ'sという活動が卒業を時間制限として、いつか終わってしまうことを一つのテーマとして描いています。
こうしたものは部活物など、多くの作品で見られると思います。
『悪魔のリドル』も、暗殺という物騒なものを扱ってはいますが、それも別れの契機であるという点で、近いものでしょう。
ただ一つ、『悪魔のリドル』が特異なのは、普通ならば別れのタイムリミットとして設定されている卒業を、晴が目標として設定し続けている点になります。
最初から最後まで、卒業がゴールなんですね。
だから、この最終回で描かれた卒業は、別れとは違う意味を持つのです。
また、黒組のルールにおいて、暗殺に失敗した者は退学になります。
バトルロワイヤルになる可能性があるとはいえ、これは望むままの報酬を得られることのリスクとしてはとても小さいものに思えます。
しかし、上記の事からすると報酬とリスクが等価であると考えられるんですね。
つまり、暗殺が成功することで晴と別れ黒組が解散するか、暗殺に失敗して暗殺者が黒組から去るかです。
さて、話は戻って、黒組の面々がバラバラだと言う話。
バラバラな人たちが一つの目的の下に集まるって筋書きは、上で出した例えですとラブライブなんかもそうですが、目的が同じだからこそぶつかり合ったりわかり合ったりする、ってのがよくあるパターンです。
ですがこの作品では前述の通りほとんどそれがない。
顕著だったのが7話で、晴を殺すのは早い者勝ちなのに、爆弾解除を手伝わないばかりか勝手に番号押して邪魔までし始める伊介様は衝撃でしたよ。いやあれ大真面目だったのかもしれませんけど伊介様……。
ちょっとここまでキャラそれぞれがバラバラに生きてるアニメを見た覚えが僕にはないです。
この1点で僕はこの作品を圧倒的に支持してますし、評価の軸もこの点が中心です。
制服やらでも触れましたが、映像としてもそれが表現されてますしね。
そのキャラらしい芝居をしている作品が好きなのです。
そんな黒組の面々が一つのことに向かって協力した話もあって、それが舞台「ロミオとジュリエット」の準備と本番です。
この模様が描かれた5話と6話は『悪魔のリドル』においては異質であり、同時にとても象徴的でした。
5話ではなんだかんだで皆が楽しそうに学校生活を送っているんですよね。
春紀が言うようにそれが嘘だとしても。
6話でも楽しく舞台が進行します。
しえなちゃんがぶち壊そうとしてさくっと退場させられますが。しえなちゃん……。
それはともかく、このお祭りに乗じてみんなで楽しい学園生活を描いたのは、とても有意義でした。
この子たちのこの生活を、やり取りを、もっと見てみたい。
そう僕に思わせただけで、成功だったのです。
◆世界は『願い』に満ちている
さきほど黒組の面々は晴の暗殺を目的にしているという点で共通点を持っていると書きましたが、その暗殺というのも、彼女たちにとっては対価としての報酬を得るための手段、過程にすぎません。
それぞれの望みにしたがって行動しているのです。
今まで書いてきたのは、その望みのための暗殺に関わる行動と、それ以外の学校生活の行動がほとんど関連していないことの面白さでした。
これからするのは望みの話。
彼女たちの望みは多種多様です。
しかしまあそれは報酬によって叶うことはないわけです、失敗しましたから。
ではその叶わなかった願いがどうなったのかというと、それが最終回で描かれているんですね。
そして、それぞれがその願いに折り合いをつけたり、理事長の力なくして叶えていたりするんです。
そうやってそれぞれがそれぞれの人生を生きていく。
それが肯定的に描かれる。
シリアルキラーで真っ当に考えたら本当にどうしようもない殺人犯の武智が、何の反省もなく服役してるのすら肯定的に見えるんです。
これはすごい。
どのキャラも概ね人殺しなのに魅力的に描いて、担当回で予想外の方向にキャラ立ちして退場するのがこの作品の特徴ですが、それはどのキャラの生き方も尊重してるからこそなんですね。
黒組を経て、それぞれが自分自身で選択した生き方。
それが非常に前向きに描かれる、生き方の物語なんです、『悪魔のリドル』は。
ちなみに『悪魔のリドル』が生き方をテーマにした作品だということは、原作の高河ゆん先生もインタビューで語っていることだったりするのでチェックしてみるといいと思います。何に載ってるか忘れましたが。まあそこ念頭に置いて最初から見直すだけでも、いろいろ発見あるんじゃないかと。
まあ僕がそのインタビュー読んだのは最終回後なんで、この感想には特に影響ないですが。
さておき、彼女たちの願いというものは、彼女たちの生き方と深く関わるものです。
そして、「来たくてこんなところ来たわけじゃない」という黒組での学園生活。
しかしそんな嘘でできた学園生活でも、彼女たちは楽しく過ごしていたように見えるし、僕たちは楽しく見ていた。
この2つの生き方が共存していたのは、黒組という舞台あってのものです。
その舞台の幕が下り、学園生活が終わり、幻が消え去った時に、彼女たちが選んでいた生き方。
けれど、じゃあ黒組で得た思いは、あの日々も消え去ってしまったのか。
そんなことはないのです。
だからこそ、晴は皆に卒業証書を届けに行くのです。
それが晴の願いで、そしてそれもやはり黒組の外、暗殺と報酬というルールのそとで叶えようとする願い。
黒組という鳥籠から解き放たれて、それでもなお2つの生き方が交わることができる。
その接点を願い、選択することができる。
だから『悪魔のリドル』は、生き方の選択の物語なのです。
いくつもの象徴的なシーンがありました。
「ロミオとジュリエット」という幕が下りる作り物の舞台。
最終回で鳰と晴が倒れた後、つまり黒組が終わった瞬間、霧とともに消えるそれまで周辺にあった壁。
黒組というのもそういう場でした。いつか終わる嘘でできた作り物。
その終わりの先に待っているものが何かはその時になってみないとわからない。
けれど、自分の生き方を選択することはできる。
この記事のタイトルにもしましたが、「人はサイコロと同じで、自らを人生の中へと投げ込む」
l'homme est d'abord ce qui se jette vers un avenir,et ce qui est conscient de se projeter dans l'avenir.
サルトルの言葉ですね。ブラック・ラグーンに出てきた言葉としての方が有名かな。
この言葉こそがこの作品、『悪魔のリドル』を端的に表した言葉だと思います。
結果として何が出るかはわからないが、自分でサイコロをふることを選択することはできる。
カイバ先生はっきりとサルトルを意識して作られたキャラクターですよね、たぶん。
というか、作品自体がサルトル意識されてるよね。
――世界は呪いに満ちている。では呪いとは何でしょうか?
人間は自由であるように呪われている。condamné à être libre
――天国の門と地獄の門。嘘つきの門番はどちら?
地獄とは他人である。l'enfer, c'est les autres
詳しくないけどWikipedia見ただけでこんくらいこの作品との関連が見いだせますね。
もっとあるかもしれませんけどそういうのは詳しい人に任せましょう。
カイバ先生の台詞は特に面白いものが多いですよねー。
他にも香子ちゃん回にはルターの「死は人生の終末ではない生涯の完成である」なんて格言も出てきましたね。
この言葉も、念頭に置いて最終回を見直すと感慨深いです。
僕はあの瞬間確かに兎角さんは晴を殺して、そして生かしたのだと思っています。
◆故に、世界は□□に満ちている
さてまあ、「世界は□□に満ちている」空欄を埋めよ。
この質問に兎角さんがなんと答えたのかというのは視聴者それぞれが考えればいいとは思いますが、皆さんは何と答えるでしょうか。
僕はこの□□というのは単なる空欄ではなく、サイコロを意味してるんだと思います。
まだ目の出ていない、二つのサイコロ。
何が出るかはわからないが、それぞれが願い、サイコロをふることはできる。
世界はそんな選択と、誰にもどう出るかわからない結果で紡がれていく。
故に、世界は□□に満ちている。
だから、彼女たちの生き方の選択と、それを描き切った『悪魔のリドル』に喝采を送りたいと思います。
あ、あとで走り鳰の考察追加すると思いますが、ひとまず完成ということで……
「それがお前の望みなのか」
はい、『悪魔のリドル」の最終話が完璧だったので、久方ぶりにブログ更新しようと思い立ったが吉日、言葉が流れ出るままに書き綴っていきたいと思いますはまじです。完璧ですよ喝采喝采。
で、何から語ったものかと考えますと、なにより僕が『悪魔のリドル』全体を通して評価している、面白いと思っている部分をまず挙げて、それがどうこの最終話で結実したか、という軌跡を辿るのが、僕の感動を理解していただきやすいのではないかと浅慮した次第。
◆黒組という箱
ではでは、『悪魔のリドル』の何が素晴らしいかって、この作品、女子高生暗殺者によるクラス内早い者勝ち暗殺ゲームをやってるんですけど、彼女たちは互いに牽制などをほとんどせずに、それぞれ思い思いに自分の黒組ライフを満喫してるんです。
そして、自分の担当回が来ると、思い出したように暗殺しようとし始める。
ここが非常に素晴らしいんです。
授業中には寝たり、本を読んだり、真面目に勉強したり。
制服だってそれぞれが別のものを着ている。
画面をパッと見ただけで、彼女たちがバラバラな人間だということが伝わってくるのです。
嗜好も、性格も、生い立ちも、別々の人間が同じ一つの目的のために集まっている。
あるいは一つの箱に詰め込まれている。
それが黒組です。
ここが非常に面白い。
黒組がなければ一生接点がなかったであろう面々が、晴を殺すという共通の目的の下、共同生活を送る。
そこには、「目的が達成されればこの生活は終わる」という一種の儚さが常に付き纏っているのです。
今放送しているアニメで言えば、『ラブライブ!』なども、μ'sという活動が卒業を時間制限として、いつか終わってしまうことを一つのテーマとして描いています。
こうしたものは部活物など、多くの作品で見られると思います。
『悪魔のリドル』も、暗殺という物騒なものを扱ってはいますが、それも別れの契機であるという点で、近いものでしょう。
ただ一つ、『悪魔のリドル』が特異なのは、普通ならば別れのタイムリミットとして設定されている卒業を、晴が目標として設定し続けている点になります。
最初から最後まで、卒業がゴールなんですね。
だから、この最終回で描かれた卒業は、別れとは違う意味を持つのです。
また、黒組のルールにおいて、暗殺に失敗した者は退学になります。
バトルロワイヤルになる可能性があるとはいえ、これは望むままの報酬を得られることのリスクとしてはとても小さいものに思えます。
しかし、上記の事からすると報酬とリスクが等価であると考えられるんですね。
つまり、暗殺が成功することで晴と別れ黒組が解散するか、暗殺に失敗して暗殺者が黒組から去るかです。
さて、話は戻って、黒組の面々がバラバラだと言う話。
バラバラな人たちが一つの目的の下に集まるって筋書きは、上で出した例えですとラブライブなんかもそうですが、目的が同じだからこそぶつかり合ったりわかり合ったりする、ってのがよくあるパターンです。
ですがこの作品では前述の通りほとんどそれがない。
顕著だったのが7話で、晴を殺すのは早い者勝ちなのに、爆弾解除を手伝わないばかりか勝手に番号押して邪魔までし始める伊介様は衝撃でしたよ。いやあれ大真面目だったのかもしれませんけど伊介様……。
ちょっとここまでキャラそれぞれがバラバラに生きてるアニメを見た覚えが僕にはないです。
この1点で僕はこの作品を圧倒的に支持してますし、評価の軸もこの点が中心です。
制服やらでも触れましたが、映像としてもそれが表現されてますしね。
そのキャラらしい芝居をしている作品が好きなのです。
そんな黒組の面々が一つのことに向かって協力した話もあって、それが舞台「ロミオとジュリエット」の準備と本番です。
この模様が描かれた5話と6話は『悪魔のリドル』においては異質であり、同時にとても象徴的でした。
5話ではなんだかんだで皆が楽しそうに学校生活を送っているんですよね。
春紀が言うようにそれが嘘だとしても。
6話でも楽しく舞台が進行します。
しえなちゃんがぶち壊そうとしてさくっと退場させられますが。しえなちゃん……。
それはともかく、このお祭りに乗じてみんなで楽しい学園生活を描いたのは、とても有意義でした。
この子たちのこの生活を、やり取りを、もっと見てみたい。
そう僕に思わせただけで、成功だったのです。
◆世界は『願い』に満ちている
さきほど黒組の面々は晴の暗殺を目的にしているという点で共通点を持っていると書きましたが、その暗殺というのも、彼女たちにとっては対価としての報酬を得るための手段、過程にすぎません。
それぞれの望みにしたがって行動しているのです。
今まで書いてきたのは、その望みのための暗殺に関わる行動と、それ以外の学校生活の行動がほとんど関連していないことの面白さでした。
これからするのは望みの話。
彼女たちの望みは多種多様です。
しかしまあそれは報酬によって叶うことはないわけです、失敗しましたから。
ではその叶わなかった願いがどうなったのかというと、それが最終回で描かれているんですね。
そして、それぞれがその願いに折り合いをつけたり、理事長の力なくして叶えていたりするんです。
そうやってそれぞれがそれぞれの人生を生きていく。
それが肯定的に描かれる。
シリアルキラーで真っ当に考えたら本当にどうしようもない殺人犯の武智が、何の反省もなく服役してるのすら肯定的に見えるんです。
これはすごい。
どのキャラも概ね人殺しなのに魅力的に描いて、担当回で予想外の方向にキャラ立ちして退場するのがこの作品の特徴ですが、それはどのキャラの生き方も尊重してるからこそなんですね。
黒組を経て、それぞれが自分自身で選択した生き方。
それが非常に前向きに描かれる、生き方の物語なんです、『悪魔のリドル』は。
ちなみに『悪魔のリドル』が生き方をテーマにした作品だということは、原作の高河ゆん先生もインタビューで語っていることだったりするのでチェックしてみるといいと思います。何に載ってるか忘れましたが。まあそこ念頭に置いて最初から見直すだけでも、いろいろ発見あるんじゃないかと。
まあ僕がそのインタビュー読んだのは最終回後なんで、この感想には特に影響ないですが。
さておき、彼女たちの願いというものは、彼女たちの生き方と深く関わるものです。
そして、「来たくてこんなところ来たわけじゃない」という黒組での学園生活。
しかしそんな嘘でできた学園生活でも、彼女たちは楽しく過ごしていたように見えるし、僕たちは楽しく見ていた。
この2つの生き方が共存していたのは、黒組という舞台あってのものです。
その舞台の幕が下り、学園生活が終わり、幻が消え去った時に、彼女たちが選んでいた生き方。
けれど、じゃあ黒組で得た思いは、あの日々も消え去ってしまったのか。
そんなことはないのです。
だからこそ、晴は皆に卒業証書を届けに行くのです。
それが晴の願いで、そしてそれもやはり黒組の外、暗殺と報酬というルールのそとで叶えようとする願い。
黒組という鳥籠から解き放たれて、それでもなお2つの生き方が交わることができる。
その接点を願い、選択することができる。
だから『悪魔のリドル』は、生き方の選択の物語なのです。
いくつもの象徴的なシーンがありました。
「ロミオとジュリエット」という幕が下りる作り物の舞台。
最終回で鳰と晴が倒れた後、つまり黒組が終わった瞬間、霧とともに消えるそれまで周辺にあった壁。
黒組というのもそういう場でした。いつか終わる嘘でできた作り物。
その終わりの先に待っているものが何かはその時になってみないとわからない。
けれど、自分の生き方を選択することはできる。
この記事のタイトルにもしましたが、「人はサイコロと同じで、自らを人生の中へと投げ込む」
l'homme est d'abord ce qui se jette vers un avenir,et ce qui est conscient de se projeter dans l'avenir.
サルトルの言葉ですね。ブラック・ラグーンに出てきた言葉としての方が有名かな。
この言葉こそがこの作品、『悪魔のリドル』を端的に表した言葉だと思います。
結果として何が出るかはわからないが、自分でサイコロをふることを選択することはできる。
カイバ先生はっきりとサルトルを意識して作られたキャラクターですよね、たぶん。
というか、作品自体がサルトル意識されてるよね。
――世界は呪いに満ちている。では呪いとは何でしょうか?
人間は自由であるように呪われている。condamné à être libre
――天国の門と地獄の門。嘘つきの門番はどちら?
地獄とは他人である。l'enfer, c'est les autres
詳しくないけどWikipedia見ただけでこんくらいこの作品との関連が見いだせますね。
もっとあるかもしれませんけどそういうのは詳しい人に任せましょう。
カイバ先生の台詞は特に面白いものが多いですよねー。
他にも香子ちゃん回にはルターの「死は人生の終末ではない生涯の完成である」なんて格言も出てきましたね。
この言葉も、念頭に置いて最終回を見直すと感慨深いです。
僕はあの瞬間確かに兎角さんは晴を殺して、そして生かしたのだと思っています。
◆故に、世界は□□に満ちている
さてまあ、「世界は□□に満ちている」空欄を埋めよ。
この質問に兎角さんがなんと答えたのかというのは視聴者それぞれが考えればいいとは思いますが、皆さんは何と答えるでしょうか。
僕はこの□□というのは単なる空欄ではなく、サイコロを意味してるんだと思います。
まだ目の出ていない、二つのサイコロ。
何が出るかはわからないが、それぞれが願い、サイコロをふることはできる。
世界はそんな選択と、誰にもどう出るかわからない結果で紡がれていく。
故に、世界は□□に満ちている。
だから、彼女たちの生き方の選択と、それを描き切った『悪魔のリドル』に喝采を送りたいと思います。
あ、あとで走り鳰の考察追加すると思いますが、ひとまず完成ということで……
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