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境界線上のホライゾン 7話 相対場の望み

いい加減同じようなこと自明のことばかり言っててアレなのでアレな感じで手っ取り早く書きましょう。

■立ち位置だったり手を取ったりしたかったりしてほしかったり

今回象徴的だったのは2点、トーリ側と正純側の立ち位置の一貫性と、手を取ること。
具体的にはトーリ側の人間は上手に立ち、正純側の人間は下手側に立つことで立場の違いが表現され、また向かい合っている、相対しているということが表現されていた。
そして、手を取ることは1話から何度も繰り返し行われてきた動作である。
今回行われた相対戦では、それぞれの立場からしたいこと、してほしいことが語られた。
シロジロは金儲けがしたく、そのためには武蔵が飛び続ける必要があるので機関部に協力して欲しい。
直政(機関部)は職場を失いたくないが、聖連に歯向かって戦うことができるのか知りたい。

互いのしたいこと、してほしいことを提示し、その一致した先で手を取るというのがこの作品の根幹である。

同様に、ネイト(騎士)は市民を守りたいが、そのために市民に自分たちに勝って欲しいと願う。
鈴(市民は)生きるために、騎士に守ってほしいと願う。
互いに相反するような願いを持つが、ネイトは鈴の願いの前に反射的な行動をとってしまう。
ネイトの真に望むこと、感情がそうすることを望んでいたからだ。
変わらず騎士として民を守る。
それがネイトの選択であり、押し付けではなく、また鈴が望んだからでもない、自分が望んだ行く先である。

感情が望む行き先を見出す相対。

さて、では今トーリは何を望み、正純に何をして欲しいと考えているのだろうか。
正純は本当は何を望み、そしてトーリに何を望むのだろうか。

彼らは手を取り合うことができるのか。
その結果がこの物語を牽引していくはずだ。



で、まああれですよ。
ネイトと鈴のキラキラ描写。
あれは一体なんなのかなー、と思ったら原作者がpixivで答え出してましたね。
『ベルサンユのばら!』
つまりどういうことかって?
アニメだと簡略化されてますが、原作だとあのシーンは騎士側が市民に負けることで市民革命の歴史再現とし、それによって武蔵を降ろされる市民が帰化した先で市民革命の中心となることになり、それによって市民の安全を確保しようとしたのです。
この時代極東では市民革命は行われていないので聖譜記述に対する違反行為であるし、行われたら現在の中央集権制である教導院のあり方まで変わってしまう大胆な一手なのですがそれは置いといて。
そういったアニメになる際に省略された事項を、ベルサイユのばらというフランス革命を連想させる描写1カットだけで表現してみせたことに僕は心底感服するし、そのことに気づけなかった時点でこの描写には諸手を上げて賛成するしかないのです!
やられた!

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テーマ : 境界線上のホライゾン
ジャンル : アニメ・コミック

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