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魔法少女まどか☆マギカ 契約の呪い――魔法少女は成長しない――

先日のまどかマギカ一挙放送にかこつけてツイートしたことを記事にまとめようかなという再利用記事になります。
ま、せっかくだしみたいな感じで一つ。

■セカイ系ゲームプレイヤーほむら


まず第一に、僕のあの作品の理解は、非コミュの根暗女がヒロインに出会って、そのヒロインの攻略を目指し周回プレイをした末ヒロイン=セカイな思考に陥った。
その妄執が本当にヒロインを世界に同定してしまい、「ヒロインはセカイのどこにでもいる! ヒロインはいつでも応援してくれてる! セカイはヒロインなんだ!」という思考になってしまった、というもの。
言うまでもなく、非コミュの根暗とはほむらのことである。
ほむらにとってまどかは偉大すぎた。
まどかへの思いはあまりに強く執拗であり、神格化していたと言ってもいいだろう。
ほむらの思考はまどかとの関係に閉じきっており、まさしくセカイ系の思考であった。
そして、その思いによるループの因果により、本当にまどかが神格化し世界と等しくなった。
ほむらのまどかへの執着が肥大していくのと、実際にまどかが世界そのものになっていくのが重ね合わされているのである。
ほむらの妄執がまどかを異形化し、その果てにまどかは概念化するのだ。
それは、ほむらの視点から見れば「ヒロインはセカイのどこにでもいて、自分を応援してくれている。セカイこそがヒロインなのだ!」ということだ。
つまり、ほむらはセカイ系ヒロインを攻略しようとし、あげくヒロインとセカイを本当に同定した、ということになる。
まどかマギカで描かれていたのは、こうした依存の気持ちの悪さであり、それが赤裸々に描かれていたことが評価できるのだと思う。
そう、依存の気持ち悪さ。
そして相互理解には至らない。
この作品が描いたことはさやか→恭介、杏子→さやか、ほむら→まどかといった依存の気持ち悪さであって、それこそが素晴らしいのだ。

もちろんこのセカイ系理解はほむらの視点に偏った見方であり、まどかが概念化の決断をしたことを鑑みれば、それほど単純ではなくなるかもしれない。
しかし、この作品の問題点の一つはそのまどかの決断の描き方である。
まどかが決断に至った理由が、キュゥべえによって魔法少女の歴史を見せられたからにしか見えないのだ。
魔法少女の歴史と、まどかの概念化の願いは切っても切り離せない。
そのために、その願いに至った理由が魔法少女の歴史を見せられたからだというのが非常に強く思えてしまう。
すると、そもそもそれはまどかが決断したことなのだろうか?
概念化という選択自体が人間の選択には思えない。
であれば、その選択を取るかどうかの葛藤が描かれなければ、魔法少女の歴史を見せられた時点で既にまどかは人間の思考を失ってしまったかのように見えてしまう。
結果、その後の母との対話も、それまでの「人間」まどかとの対話に見えず、むしろ非人間性を強めている。
 
ほむら視点で見るとまどかの決断によって徹底されず、まどか視点で見ると突然段階を飛ばしたかのような決断によって阻害されるのだ。

■成長できない魔法少女

だからこの物語は成長も描いていない。
人間から概念に移行するのは成長とは言わないだろう。
ほむらは前述のとおり依存である。
さやかが最後に恭介を諦めたのも単に魔女化しなかっただけで成長ではない。
魔法少女・魔女云々がなければ当然していた選択だろう。
マイナスに陥っていたのが戻ってプラマイ0になるのは成長とは言えないだろう。

成長しない。
魔法少女は大人にならない。
まどかがほむらにしたのはほむらのセカイ系の容認であり、依存を受け入れることであり、魔法少女で在り続けることの要請であり、つまりは成長の否定。
魔法少女は世界を受け入れられなくなると神=まどかに殺される。
ただ、世界=まどかを否定しないほむらは永久に少女のまま。
魔法少女は願いによって世界を自分に都合よく改変するが、その世界に耐えられなくなると魔女化する。
世界を改変しても、結局はその世界にも耐えられなくなるのだ。
しかし、ほむらまどかを否定せず、つまりは世界を受け入れるため魔女化はしない。
魔女化=成長とは世界との衝突である。
しかし、まどかによって世界と衝突した魔法少女は殺される。
成長の機会が生じた瞬間、まどかが止めを刺すのだ。
魔法少女は自分で改変した世界に負ける。
魔法少女は世界を受け入れることはできず、この世界は契約の願いによってしか変えられない(これはキュゥべえも触れている)。
結局まどかも契約による改変という手段しかなかったことからも、この世界の仕組みがわかる。
では世界を受け入れることは出来るのだろうか。
これに関しては杏子が一番そういう態度をとっていたが、世界を受け入れていたというよりも、ただ諦観していたというのが実際のところだろう。
それは意図的に視野を狭めること、思考停止でしか無い。
積極的な肯定ではありえない。
それを成長だと言う人はいるかも知れないが、結局はさやかに固執し心中するしかないのだ。
魔法少女による世界の積極的な肯定が、ほむらによる世界=まどかの肯定だけしか描かれないからそういう印象が強くなる。

最後の一人だけ残ったほむらは象徴的である。
魔法少女は成長できず、世界に衝突し消えていく。
最後に残るのは、まどか=世界を全肯定するほむらだけ。

■魔法少女の、契約の呪い

結局、個人の願いによって世界が成長していくが、個人は成長しないというSFとしてはよく出来ていると思うが、成長物語としては受容できない。
一度世界を都合よく改変すれば、次に世界と衝突した時には憎しみを撒き散らすか殺されるかである。
魔法少女は現実に立ち向かえない。
それこそが契約の呪い。
魔法少女になるとは、そういうこと。

そして。
ほむらは永久に少女のまままどか=世界に依存し、まどか=世界はそれを受け入れる。
退廃的で、不健康な関係。
その醜悪さこそがまどかマギカの魅力であり、特筆すべき点であると思う。
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テーマ : 魔法少女まどか★マギカ
ジャンル : アニメ・コミック

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