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劇場版ラブライブ!に対する疑問 映画がドームじゃない不誠実さについて

以下ネタバレ収容

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デレマス 6話と7話で本田と渋谷のドラマに質の差ありすぎよねって話

6話の話からですけど、本田の問題って実は大した話じゃないんですよね。
あのステージが失敗だったと思ってるのは本田だけで、Pも他のアイドルも観客もあれは成功だったと思っていて。
ってことは完全に本人の中だけの勘違いであって、それを正せばいいだけですから。
これが「こんな華やかじゃない下積みもしなくちゃいけないならアイドルなんてやりたくない!」って主張を本田がするのならば別ですけど、そうじゃないことはわかりきってます。
本田の一連の流れを調子に乗って同人誌を刷りまくって売れ残った人って例えをなんかよく見かけましたけど、これっててんで的外れなわけです。
同人で例えるなら、分相応のイベントに出て、分相応の冊数を頒布したけれど、本田はイベントはもっと大きなもので、大量に頒布されるものだと思い込んでいた。
まあこんな勘違い、ドラマになるわけありません。
やるべきことは見えていて、アイドルとしての心構え、アイドルとファンとの関係、本田から全員への謝罪、行うべきなのはこの程度でしょう。
リーダーの責任感に悩むにしても、リーダー決める話もなかった上に、やはりリーダーとして失点があったわけではないわけで。
少なくとも話数を跨いでのヒキにはならないような話です。
だから、6話の本当のヒキはそこではなく、本田をきっかけにした渋谷とPの関係性がヒキになってるんです。
だからドラマにならない本田のドラマが、本当のドラマを動かすための歯車にしかなってないわけで、なかなかむごいことをするなあと思いました。
とはいえ本田の話をきちんとドラマにすることもできて、それは本田とPとの関係性を描くことです。
逆にさっき言ったように本田のアイドル観や、本田とファンとの関係を描くことで話を作るのは難しい。
なぜならこの問題でアイドル観やアイドル論を語るには問題があまりにもちんけであるし、アイドルとファンとの関係もこれまでほとんど描いてこなかったので、深入りした話は期待できないからです。
であれば本田とPの関係に焦点を当てればいい。
6話の流れを追ってみると、本田のパフォーマンスとそれへのレスポンスが軸になっていることがわかります。
レッスンで本田は良い動きで褒められますし、リーダーとして他の二人を引っ張り、それが上手くいってる様が描かれます。
そもそもデビューが決まったのもこれまでのパフォーマンスへのレスポンスとしてです。
しかし、デビューのステージで、本田の期待していただけのレスポンスがファンからなかったわけです。
それを、Pに何故かと問い質し、帰ってきた答えに本田は失望します。
ここが問題なんです。
本田はファンとPのレスポンス、どちらにショックを受けたのか。
あるいは両方にショックを受けたのか。
本田とPとの関係性に重点を置くなら、観客の少ないステージというものをショッキングな形で置いたのは、段取りとしてよくありません。
おかげで本田とファンとの関係に寄せられてしまう。
そしてそれは前述の通り矮小な問題なわけです。
そして、問題が矮小故にそれに対処できないPも無能に見えてしまいます。
そこにトラウマがあるのはわかりますが、さすがにこのレベルの問題に対処できないのはいくらなんでも、と。
結局誰かが「アイドルやめる!」と言ってPのトラウマ抉って渋谷に不信感持たせられればその過程はなんでもいいんだろう、と。
そんな流れで7話に入り、Pが一念発起して本田と対話するわけですが。
そこに至る流れを見れば、この話が結局Pがアイドルに向き合えるかどうか、Pとアイドルの関係性が話の焦点なのだとわかります。
わかりやすいくらいドアの描写が出てきますからね、引きこもっていたのはPもだったんだと。
そんなPと本田の関係ですが、まあやはり大した話は出てきません。
ファンの笑顔もありきたりな話です。
ありきたりであることの何が問題なのかというと、この程度のことならPじゃなくても言えてしまうんですね。
家族でも、友達でも、仲間でも、先輩アイドルでも言えてしまうことです。
エンタメとして、仕事として、普遍的でもあるので、他業種を見るなりして自分で気づくこともできるでしょう。
そこには、Pでしか言えない言葉はなく、だからPとアイドルの関係の話としてとても弱いのです。
ファンと本田の関係の話としても、Pと本田の関係の話としても、不出来であると思います。
逆に、6話の本当のヒキと言った渋谷とPの関係は、よくできています。
なぜなら、シンデレラプロジェクトの中で、渋谷だけは唯一、明確にオーディションで合格したアイドルではないからです。
それはつまり、渋谷だけはシンデレラプロジェクトを通してアイドルを見ていたのではなく、スカウトしてきたPを通してアイドルを見ていたということです。
5話の感想風に言うなら、渋谷だけはPを見てアイドルを選んだ。
Pを選んだということです。
ですから、Pと渋谷の問答は、他のアイドルとは違う、渋谷だけの、渋谷固有の物語となるのです。
極端なことを言えば、他のメンバーはPが信用できないのなら、他のPに挿げ替えてくれと言ってしまえます。
しかし、渋谷だけはあのPでないとアイドルを続けることすら危うい。
それが、渋谷とPの話の強度となっているのです。
よくできている。

もうちょっと他の話にも突っ込むと、NG以外のメンバーは、だいたいみんな全員が共有している思いの代弁しかしないんですね。
年少組は素直に欲望を吐露しますが、これは皆が思ってることだったりします。
前川は欲望的な面を、多田は悲観的な側面を代弁することが多い。
そうやって全員の思いの共有を深めて、みな思ってることは同じであるとし、ひとまとまりとして描写するんですね。
だから、全員が共有する思いの代弁が難しいキャラは、シリアスな場面ではほとんど喋れなくなります。
双葉とか顕著。
で、それはまあこの大人数を動かすのに便利だし上手いと思いますけど、むかつきますよね。
Pへの不信感を共有し、それを一番の持ち主である本田と渋谷が解消したことにより、他のメンバーの不信も綺麗に解消されていて、それは確かに上手い手法だとは思います。
でもさっき言いましたが渋谷の不信は渋谷の固有のドラマであって、お前らなに共有して解消されましたみたいな顔してんだよと。
プロジェクトみんなの思いは一緒みたいなのを、この子らの関係性の変化を描いてないのに最初からやってるのは、とてつもなく好みの問題ですが大嫌いです。
そもそもなんのためにいるんだお前らって気になります。
えー、まあ、そんなこんなも7話まででようやく一区切りで、次回からはPとメンバーとのアプローチを変えられそうなので、こっからは楽しみです、本当に。
こんなに数が多いから一区切りに7話もかかってんじゃねえかとか思いますけど、まあそれはそれですしね。

※タイトルが悪くて勘違いされそうですけど、二人のドラマに質の差があること自体が問題なのではありません。
まず、それ以前の問題として、本田はドラマとして成立していない。
だから、8話以降で本田が何かしらいいことやっても、これがきっかけで成長したと言えません。
アイドルとPとの関係という点で、NGの中で本田だけ固有のものがないというのは、今後問題があるかもしれません。
そして、差というか違いがあるのに、みんな仲間みたいなノリで問題と解決を共有できてる風に描いてるのは、問題あるとは思いませんが気に入りません。
そういう話です。

テーマ : アイドルマスター
ジャンル : アニメ・コミック

誰かに選ばれること デレマス5話までの話とあと不満とか

デレマスの話ですよ。略称これで合ってるの?
5話は「誰かに選ばれること」と、そして同時に「誰かに選ばれないこと」を描いていました。
ユニットデビューの決まった島村、渋谷、本田と、アナスタシア、新田は誰かに選ばれた人間であり、他の面々逆に選ばれなかった人間です。
渋谷はプロデューサーになぜ自分たちが聞きますが、「総合的に判断して」という答えに納得しきれません。
渋谷「みくたちじゃなくて、私たちを選んだのはなんで?」
新田はデビューのビジョンのない自分が選ばれたことに不安を感じます。
新田「私たちにはプロデューサーさんが用意してくれた素敵な曲と、衣装しかないでしょう? まだステージに立ったこと、一度もないし」
新田「しっかりしなきゃね。選ばれたんだから、頑張らなきゃ」

逆に、前川は、なぜ彼女たちが選ばれたのか、そしてなぜ自分が選ばれなかったのか、という疑問を突き付けます。

この「誰かに選ばれる」っていうのは作品のテーマだと思うんですね。
1話で島村渋谷本田はプロデューサーに選ばれてアイドルになった。
2話で3人は美嘉に選ばれ、バックダンサーになることに。
3話でその姿を見たお偉いさんに(おそらく)選ばれ、ユニットデビューが決定。
アイドルというのは、こうして誰かに選ばれ続けるということなのではないかと思うのです。
王子に選ばれるシンデレラのように、誰かに選ばれる存在。
この作品は、アイドルをそのようにものとしてこれまで描いているのではないでしょうか。

ですが、アイドルというのはただ選ばれるだけの存在ではありません。
同時に、自分でも選んでいくのだということも描かれます。
顕著なのは美嘉です。
彼女は自分で3人をバックダンサーに選びました。
既に活躍しているアイドルの先輩として、そうした姿も描かれているのです。
3人も少しずつですが自分たちで選ぶということを行っていきます。
ステージの前のフライドチキンという掛け声を選び、PR動画をどう撮るかを選ぶ。
それはとても拙いものでしたが。
そんな3人が5話で選ぶことになったのが、自分たちのユニット名です。
ホワイトボード一面の案を書き出しますが、選ぶ事が出来ません。
対し、前川たちは自分たちのデビュー案を考え選びますが、それはプロデューサーに採用されません。
単に自分で選ぶということが偉いというわけではないんですね。
アイドルとして、自分で選んだことを誰かに選んでもらわなければならないのです。

そしてそれはまた、最初に彼女たちを選んだ者の物語でもあるように思います。
それがプロデューサーです。
プロデューサーは渋谷を選びましたが、だからといって彼女が素直にアイドルの道を選んでくれるわけではありません。
自分の頭越しのような形で美嘉と部長が彼女たちを選び、プロデューサーはそのフォローをすることになります。
これは彼女たちを最初に選んだ者の責任であり、その責任をはっきりと描いたのがこの5話です。
企画の決まっていく物事に対して対処を行っていますが、しかしそれ故はっきりとアイドル達の気持ちに応えられないんですね。
千川「順調ですか?」
プロデューサー「決め事は、概ね」
千川「あの娘達は」
プロデューサー「え? はい、頑張っています」
千川「プロデューサーさんにかかってますからね」

決め事は決まっていきますが、プロデューサーがぼかして答えるしかない部分が問題になっているんです。
「なぜ彼女が選ばれ、またなぜ他の彼女が選ばれないのか」、です。
実際その理由は部長と千川との会話で明示されているんですが、それを直接アイドルに伝えることはできないんですね。
まあ理由はいろいろあるでしょうけど。
で、立てこもった前川にプロデューサーが言ったのって、「あなたも選ばれている」ってことなんですね。
「不安にさせてしまったが、あなたも僕が選ばれたメンバーであり、皆もそうであり、順番でしかない」、と。
そこから最後、島村渋谷本田の3人が、プロデューサーの仮に置いたユニット名を自分たちで「選ぶ」。
というのが5話の顛末だったわけです。
何もかも用意してもらっているデビュー組だけど、自分たちで選んだものもある。
そんな一歩がこの5話です。



……以下不満。
でまあそんな話だったんだけど、そんなわけで5話ってかなり作品テーマに踏み込んでるんですよね、たぶん。
で、まだ序盤なんだからそこにちゃんとした答えを出す必要はないんですよ。そこってつまりなんで選ばれたのかとかそういう話です。
1話から彼女たちが選ばれた理由ってぼかされてるんですよ。
渋谷「そもそも私の何を見て、アイドルになれって言ってるわけ?」
プロデューサー「笑顔です」
渋谷「は!?」

5話でプロデューサーが前川に答えたのは、「すでにあなたたちは選ばれている」、ということであって、「なんで選ばれたのか」ということへの答えではないわけですね。
それはさっき言ったように作品通してのテーマへの答えであって、今答える必要のあることではないんです。
だから、答えを誤魔化してもいいし、暫定的な答えでも十分です。
ただ、それにしてはかなり大きくテーマに踏み込んでいるんです。
視聴者としてはどう答えを出すのか、あるいはかわすのか、という点に注目して見てしまうのです。
デビュー組は何故自分たちが選ばれたのか、という疑問を共有しているし、前川たちもなぜ選ばれなかったのかという疑問を共有している。
だから、前川の「自分と彼女は何が違うのか、なぜ自分は選ばれないのか」という問いはプロジェクト全員の思いの代弁だったわけです。
前川だけの思いなら、前川の不安を取り除いてやれば疑問に対する答えが不十分でも構わないんですが、今回は疑問の共有が強すぎる。
つまり、あの場でプロデューサーは前川だけじゃなく、全員の疑問に答える、あるいは誤魔化す必要があったんですよ。
それが「順番だから」では弱すぎると思ってしまう。
だって「じゃあその順番はどう決まったの?」ていう次の疑問がすぐに生まれてしまいますから。
これがデビュー第一弾がニュージェネレーションだけなら、その理由を察せられますが、ラブライカはそうではない。
ラブライカが誰かに選ばれる描写も弱い。
そして当のラブライカにも疑問の共有が行われてしまっている。
渋谷も自分が選ばれた理由を今回の中で直接ぶつけているため、そのまま納得してユニット名選びを晴れやかに行うことにも引っかかってしまう。
ただプロデューサーも自分の力が及ばないところで決まることがあるなんて言えないわけで。
じゃあまあどうすればいいかって、「あのプロデューサーが本気で謝罪した!」とかその行動自体に他のキャラにリアクション取らせて誤魔化しにかかればいいと思うんですけどね、本編通りでも。
論点をずらして落としどころを力技で作るにはやっぱり謝罪ですよねーそして土下座、切腹。
キャラのアクションとリアクションとして面白いだろうなーとかの思いもありますが。
第一に「あなたたちはすでに選ばれているという点で皆同列だ」という答えでデビューが遅い面々が納得できると思うかどうか。
第二に先にデビューが決まっている面々もその答えで「皆同列だ」と納得できると思うかどうか。
第三に作品のテーマに対する暫定的なその答えに対して視聴者として面白いと思えるか。
5話の内容はこれだけハードルを高くしてるんです、疑問の共有を強くすることと、テーマに踏み込むことで。
僕としてはかなり物足りませんでした。



まあそういうなんつうか構成的な話以外でも、立てこもりは4話で双葉がやったことの2度ネタで面白くないぞとか、前川のレッスン姿足りないぞとか、島村渋谷本田の関係って特に面白くないなあとか、そもそも本田がいる意義が感じられなくてその役回りは大体島村だけでできるんじゃね?とか、島村の笑顔が魅力的に描かれることがほとんどなくなってこの子の魅力ってなんだっけな感じや、例えば神崎の中二設定の内実がわかんなくてガワだけっぽくてよくわからないとか、まだアイドルじゃないとはいえ描かれてるのが美少女キャラの魅力でそれってアイドルとしての魅力なの?って疑問とか、その辺全部ひっくるめてキャラの関係性が漫才以外の面でまったく面白くないとか。
そういうテーマとか構成以外の部分の話が特に面白くないんですが、それはそれとしてこれからも期待してます。
いや、ほんとに。

艦これ4話 そこにいないあなた いてくれるあなた

艦これのアニメ、3話までも良かったんですけど4話がとても良かったので何か書いとこうと。
アニメとしては吹雪が変な先輩たちに素っ頓狂なことに付き合わされて困惑してるのが大変可愛いので、それだけで見られますが。
吹雪がそういう応援したくなる可愛さなのは、吹雪のバックボーンとか世界観とか説明とかなくても見られる要素なんで、吹雪が可愛いのはいいことなのです。
吹雪可愛い。
で、4話です。

4話はひたすら、望んだ相手が視線の先に存在しない、ということを基調に進んでいきます。
吹雪が朝起きた時、ベッドにいるのは夕立だけで、睦月はいません。
教室で睦月が空元気を振りまく時、皆の視線の先にあるのは誰もいない如月の席です。
金剛は提督にいいところを見せようと張り切りますが、抱き付いた相手は大淀でした。
任務に島風が現れません。
ですので島風を探しますが、ライブでやってくるのは島風ではなく那珂ちゃんです。
榛名の罠に引っかかるのも、島風ではなく比叡でした。

このように何度も繰り返されるのは、もちろん、如月の帰りを待つ睦月の気持ちと、それが実現しないということの実感です。
ですが、それだけではありません。
望む相手以外がそこにいるということも積み重ねているのです。
上記の例でも、その多くの場面で、違う相手がそこにいるということがわかります。
他にも、霧島の作戦での北上と大井にとって、霧島はそこにいるのを望まない相手でした。
駆逐艦の相手をしていた吹雪にとって、戦艦は突然現れた敵です。
またその吹雪の前にも、金剛が突然助けに入ります。
どんな相手にせよ、そこには確かに存在する相手もいるのですね。

この突然何者かが現れる、というのが今回の絵コンテの稲垣さんの技巧なんですよ。
指令室に比叡榛名霧島が現れた時も、そこにはいなかったはずなのに、映像的に嘘をついて突然現れるんですよね。
単純な映像の整合性を越えてキャラが出現することを繰り返すことで、誰がいつどこに現れるのか予想できなくなるのです。
そうしてクライマックス、波止場から帰る睦月の、振り返った先に突然立っている彼女のシーンが本当にクライマックスとなるのです。
彼女は睦月の望む如月ではなく、吹雪でした。
いないはずの者がどれだけ現れようとも、それを期待しようとも、睦月の期待は裏切られ、ただ、吹雪は確かにそこに立つのです。
もし自分が沈んだら自分を待ち続けるであろう睦月を幻視した吹雪が、自分は如月ではないけれど、沈まずに帰還し、睦月を抱きしめるのです。
そして、二人に言葉はなく、慟哭だけがある。
ここに言葉がないのがいいんですよね。
吹雪はずっと睦月どう言葉をかければいいのかわからなかった。
でも言葉じゃないんです。
金剛「ヘーイ、ブッキー。それ以上は言葉にしなくてもわかりマース!」
さすが金剛お姉様!
だから今回の話も言葉で表現されてないんです。
ひたすら映像で積み重ねられているんです。
それを、僕が霧島のように金剛お姉様の素晴らしさを言語化しようと思って書いたのがこの記事なんですね。
長門からの任務の説明がよくわかっていなかったように、金剛は感覚派なんですね。
霧島「要するに、すごい速さで近づいて」
榛名「一気にドカーンとやってしまえばいいということです」
今回もそんな感じそんな感じ!
僕も二人みたいに金剛お姉様から褒められたいのです!

……えー。
そしてラストシーン。
アバンのように起きた吹雪の視線の先には、カーテンを開く睦月がいるのでした。
ここも、吹雪は睦月がベッドの外にいることに気が付きそうな位置関係なのに、嘘をついて最初は気が付かないんです。
だから睦月が突然現れたように見えるのです。
美しい!

そんな感じで、如月を失った睦月の気持ちを言葉にせず、睦月に対する周囲の反応も言葉にせず、ギャグを入れつつも映像で吹雪と睦月を描き切った傑作であると僕は思います。
言葉にするのは、如月の死に意味を与えるということになると思うんですよね。
でもそれを徹底的に避けてるじゃないですか。
そもそも3話での如月の死もそうでした、
如月の命と引き換えに戦況が良くなったわけでも悪くなったわけでもないし、彼女の死で誰かが成長したわけでもない。
ただ死を死として、それを受け止めるのを、ギャグパートとの落差の中で描いたのはとても素晴らしかった。
だからもうあの二人の慟哭が直接的にこっちの胸にきてつらい……つらい……。

あと金剛たちが人生楽しそうで良かった。
島風も楽しそうだった。
ていうか連装砲ちゃんファンネルだった。
振り回される吹雪はやっぱり可愛かった。
夕立は今日も見守ってた。
以上。

テーマ : 艦これ 艦隊これくしょん
ジャンル : アニメ・コミック

なぜ今リリカルなのはViVidなのかって話

はい、ええとアニメ化の発表からもう1か月以上経ってるんですけどね。
いやほんとはコミケ後すぐにこれ書こうと思ってたんですよ。
まあ思ってただけだからこんな時期になったんですけど。
そんなこんなでもうすでにアニメスタッフが発表されちゃってる感じっつーかフラゲですけどそんな感じなわけで、でもだからと言って書くつもりの予定に変更はなかったというか裏付けって感じなので気にせず書いていこうと思います。
結論を先に言うと「劇場版作ってるからViVidをTVアニメ化なんだよ」っていう当たり前の話なんですが。

まず、ViVIdのアニメ化が発表された時、けっこうな人が「なぜ今Vividを?」と思ったんじゃないかと思います。
特に、現在のなのはコンテンツに詳しければ詳しいほどそう思ったんじゃないかと。
というのも、ViVid自体の盛り上がりは少し昔の方が高かったですし、原作者の都築さんもメディアミックスにおいて同じ内容をそのまま他のメディアで繰り返し行うことについて乗り気ではないコメントをしていたと思います。
もっともそれはかなり前の話ですし、今は考え方が違うのだと思いますが。
あと、情報が来るなら劇場版3rdだろうと構えていた人が多いでしょう。
盛り上がりに関しては、アニメ化発表前にコミケでドラマCD発売するなりなんなりしていれば、作れていたと思いますが、そういったことはあまりありませんでした。
一応抱き枕出したリハしてるんですが。
とにかくまとめると、「今ViVidをアニメにしたい!」という意思がなのはプロジェクトからは感じ取れなかったということです。
盛り上がってるからアニメ化、という流れじゃないと。
じゃあなんでアニメ化したのかというと、それにはなのはというコンテンツ全体を見渡す必要があると思います。

まず、今なのはをアニメで展開しようと思ったら、2つのパターンになります。
完全オリジナルの作品か、他のメディア展開している作品(ViVid、Force、INNOCENT)のアニメ化か、です。
で、すでに完全オリジナルの劇場版3rdがすでに発表されてるんですね。
この3rdが、現在のなのはアニメコンテンツの主力だと考えていいはずです。
ということは、その他にアニメで展開しようと思ったら、3rdと被らない雰囲気のものにしようとするでしょう。
実際に、これまでの劇場版と並行して作られたDOGDAYSに関して、そのようにして作品を作っていったと都築さんが述べています。
この条件に合う、他のメディア展開している作品は、ViVidとINNOCENTの2作品が該当します。
もちろん3rdと被らない新作を作るという選択も考えられますが、その場合、その制作スタッフが劇場版のメインスタッフと被らないようにしなくては、物量的に不可能だと言えます。
なのはのTVオリジナル新作で、都築氏と、さらにキャラデザの奥田泰弘さんを起用しないという選択は、ファンの反発も予想できますし、現実的ではないと思います。
よって、アニメ化の選択肢はViVidとINNOCENTに絞られます。

ここでINNOCENTについて考えて見ますと、これはViVidと同じく漫画でも展開していますが、元はゲームです。
そして、このゲームは奥田さんがキャラクターデザインをして、基本的に絵は奥田さんのアニメ調のデザインなんですね。
もともとINNOCENTの世界はこれまでアニメで描いてきたものとは完全に別のものなので、奥田さんの絵を外れると、一気にこれまでのシリーズとの繋がりが薄れてしまうんです。
ですので、仮にINNOCENTをアニメ化するのなら、少なくとも奥田さんがキャラデザまではしないといけない。
ですが、それだと先ほど述べたスタッフが被ってはいけないという条件に反してしまいます。
ということは、消去法で、アニメ化するならViVidだ、ということになります。
ViVidは奥田さんの絵じゃなくていいのか? という疑問もあると思います。
ですが、ViVidは最初から漫画の作者である藤真さんを前提に作られたものであり、作品のビジュアルイメージも藤真さんの絵で定着しています。
つまり、ViVidのアニメは奥田さんのものでなくてもいいはず。
最初にアニメ化の報を聞いた僕はすぐにここまで考えたのでコミケ2日目になのはブースにPVを見に行く時、心の中に一つの予想がありました。
それは、「PVのアニメの絵は奥田さんのものじゃないだろう」という予想です。
そして、その予想は的中しました。
PVのアニメは、藤間さんの絵を再現したものだったのです。

以上のことから、劇場版と被らないスタッフでViVidを作りたいのだろうという推測が成り立ちました。
最初に述べた、ViVid自体のアニメがどうしても作りたかったのではないのではないか、という予想も、こう考えれば納得できます。
「劇場版がまだ時間がかかるから、その間、ViVidで間を繋ごうとしている」という考えです。
この考えは、これまでの推論の条件にもぴたりと当てはまります。

さて、ここまでの話は、劇場版が制作中だという前提が元になっています。
しかし、そもそもポシャったりしていると考えたら全て成り立たないのではないか? と考えることも可能でしょう。
ですが、逆に今一番フレッシュなINNOCENTではなく、ViVidのアニメ化を選んだということが、その理由を考えていった場合、劇場版も制作中だと考えるのが一番妥当なのです! そのことは今まで述べてきた通りです!


納得しかけていただけましたか?
今のはかなり循環論法っぽいですよ?
というのは置いといて、奥田さんがほとんどアニメで名前をクレジットされていないというだけで状況証拠としては十分じゃないすかね。
劇場版制作中なこと。
いや、実際仕事しててもノンクレとかペンネーム使うだろうけどね。
……というところまでコミケでPV見た時点で考えていましたが、アニメのスタッフ発表されましたねぇ。
結果、概ね僕の推論を保証するというか、少なくとも矛盾はしていませんね。
セブン・アークスは1月からDOGDAYS3期ですけど、あれ放送前に全話ほとんど制作終わる感じのスケジュールで作ってるらしいですしね。


あ、あと、僕ViVidもForceも面白く読んでて、まあその辺は放送時にでも改めて語ればいいやと思ってるんですけど、この2作品とも、これまでのなのはシリーズの相対化が行われているんですね。
特に主人公に関して。
その点において、確かにヴィヴィオ(とトーマ)は新シリーズの主人公たる資格があるわけです。
とかそんな話ができるアニメ放送開始を楽しみにしてます。

テーマ : 魔法少女リリカルなのは
ジャンル : アニメ・コミック

プロフィール

Author:はまじじゅん
まとまったアニメの感想とか書ければいいなあとか。
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TwitterID:hamaji_jun
http://twitter.com/#!/hamaji_jun

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